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植村建夫の独り言

私は、1944年9月20日中国大連鉄道に勤めていた敬三、ヨシエの次男として生まれました。
私は、都城市立大王小学校、小松原中学校、宮崎県立都城工業高校電気科を卒業しました。
私は、昭和38年4月名古屋の中部電力株式会社に入りサラリーマン技術者として、
社会人としてのスタートを切り、そして波乱の人生が始まりました。。

私は
都城工業高校1年在学時より月刊誌「高校時代」の仲介により
大阪寝屋川市在住、京都光華高等学校同学年の倉内さん
と都会のお嬢様学生と田舎の泥臭い男学生との
交流ペンフレンドとして交流を始めました。

その後
私は名古屋市に本店のある中部電力株式会社へ入社
初任教育終了後中部電力(株)四日市火力建設所電気課計測係へ配属。
倉内さんは国家公務員として電電公社大阪市外電話局に勤務。
その後も遠距離恋愛として交流は続き
大阪、名古屋と頻繁な相互訪問。
昭和43年春結婚する。
私は中部電力知多火力建設所で当時世界最新鋭火力発電所の建設に従事。
嘉津子さんは名古屋市内電話番号案内局に転勤。
名古屋市港区大江町の中部電力社宅での生活が始まりました・・
家庭人として、男としての人生の始まり・・・。
当時東京オリンピック開催直後と日本も高度成長真っ只中。
家庭の構築、世界に誇る工業先進国日本の社会基盤の建設への参加
夢と希望に燃えた青春時代・・。

私は、長男、智一(国分市在住ソニー国分勤務)長女、法子(宮銀鷹尾勤務)
次男剛志(ダンロップゴルフクラブ勤務)の3人の子供の父親です。
私は、遊びも、仕事も、お付き合いも、家庭のことも、一生懸命努めます。
但し、バランスに問題があることは、素直に認めます。
私は、最近病気がちで一昨年は、前立腺肥大の手術、大腸ポリープの除去手術、
最近は腰痛、肩痛、歯、目、とことごとく悪く
何とか寿命を延ばそうと、いろいろ考えております。
社会が許してくれるなら、いつまでも生きていたいと考えております。
私は、いつも懺悔の気持ちを持ち、奥ゆかしい生き方をしていると思います。
但し、家族の皆は強い疑問を持っています。
私は、これからも強く正しくみんなと共に、生きてゆきたいと思います。
私は、私のお客様、お世話になった方、を始め感謝の気持ちを
いつでも持ち大事にしてゆきます。

建夫君諸々

私は、なぜ自分が遊び好きなのか判らない、旅、ゴルフ、写真、お酒、映画、etc.他の方もそうなのだろうか?親から の遺伝か、それとも感性豊かな証拠なのか。家内に言わせると病気だという。私はそうは思わない。
私は、あえて皆様に判定して頂こうと、恥を忍んでと言うか、全てをさらけ出して皆様に
私の生き様を紹介し、ご参考にしていただこうと思うものであります。但し、あまり過激なことは、
私自身が墓場まで、黙って持ってまいります。なぜならば・・・

私の今までの旅は、お付き合いと言うか、私の趣くままというか、記録として残せない事が多いのです。
まったく・・・今後は、おそらく私が旅に出ると言えばNTT退職し無職となった、家内が、付いて来るに間違いありません。今までの悪事の罪滅ぼしでと言うわけでもありませんが、私も積極的に家族と共に、健全で明るい旅をしていこうと固く決意しております。文章能力に難点はありますが、今後の旅を積極的に記録に残してゆこうと思います。

私は、今まで先輩諸氏、友達、いろんな分野の方々の、生き方、話、その方の行動など良いとこ、悪いとこ取捨選択して私の行き方の指針として参考にさせていただきました。おかげさまで、失敗も少なく、悪事を働くこともなく、家族に見捨てられることもなく、スケールは小さいですが、59年間生きてこれました。私は、私の生き方を皆様の参考として頂くためあえて文章や、写真として発表してゆきたいと思います。

 植村建夫ホームページへの率直なご意見、ご批判をお願いいたします。
すぐ下の植村建夫さんへ一言御記入の上送信ボタンお押し下さい。
記入下さった奇特な方には、もれなくお礼の返事させて頂きます。

植村建夫さんへ一言

私はおじいさまとなりました。
2002年2月最愛の実母を亡くし、悲しい気持ちでいっぱいでしたが、
その3日後、長男智一君、久美子さん夫婦に男の子が誕生し
騎崇(のりたか)君と命名されました。
人生の流れ=生まれ、育ち、老いて次の世代へ引き継ぎし、消え去る。
悲しさや、嬉しさや・・生きていればこそ、感動、悲しみ等運命の厳しさ、
時の流れ、等々人生の重み、歴史の重みをひしひしと感じます。
清く正しく生きなければ、と考えていますが何を今更と・・・・イヤ・・努力します。
先祖と後世の繋ぎてとして今生きている自分におじいさまとなった感慨を込めて
何かとハッパをかけるこの頃です。素晴らしい人生を有り難う。
私に関わりのある全ての皆様に感謝します。
騎崇(のりたか)君写真特集

二男剛志君
かねてよりおつき合いのあった国立都城病院の看護士
山下広子さんと数年越しの恋を実らせ
遅きに失した婚礼の儀をとり行う。
2006年9月14日二人の愛の結晶剛幸(たかゆき)君誕生
あの泣き虫だった末っ子の剛志君に
2世誕生・・感無量であります。

剛幸(たかゆき)君写真特集

私は私,君は君、歌の文句みたいだけど、この世にただ一人しかいない植村建夫。私は、他の人とは違う自分、何か特徴を作りたい、生きてきた証を残したい子供は家内と一致協力して3人だけ作れた。まだ元気がある・・子供以外の何かを今から作っていこう、日本で世界でどっかで〜?その種を見つけに行こう。遊びからか、空想からか、現実からか、過去の何かからか、そうだ過去を整理しつつ何かをつかむまで、何でもやってみよう?レッツゴー皆様、私が何をやらかすか、時々覗いて下さい。きっと貴男にも貴女にも、為になるかもですよ
植村建夫トピックの目次
9500年遙か昔:上野原縄文の森訪問 植村建夫初級ギャラリー
騎崇君と騎崇君のお父さん(智一)のこと 剛志君とコミニュケーションをはかる
孫騎崇君を思う(1) 失意からはい上がる
韓国キムチパワー 58才になって・・・・
2004年こうありたいな(目標)

植村建夫の趣味

私は旅行が大好きです
私は、昭和52年よりホテルに勤め、次長という役職で、旅行代理店とのお付き合いで
よく旅行につき合わされました。国内や国外旅行を代理店の儲けとなる金額の大きい豪華な
旅に、儲け材料として動員されて以来、病み付きになりました。私にとって麻薬みたいなものです。
ホテル勤務をやめて、自営業となっても仕事先のお付き合いでずっと続いていました。
昨年、家内がNTTを早期リストラで退職してからは動向監視が厳しく、
品行方正な旅に変更せざるをえなくなり、夜の宴会がなくなりました。寂しい限りです。
今後は、今までの罪滅ぼしの意味も込めて、二人三脚のおしどり旅となります。
いい思い出を、いっぱい作りたいと思います。

国内旅行写真集

1999年長野黒部立山アルペンルート
2000年10月南紀白浜・伊勢訪問
2003年5月大分高崎山訪問
2003年5月福岡太宰府天満宮訪問
2003年5月大分由布院温泉散策
2003年7・8月東北研修旅行
2004年2月懐かしき沖縄へ家族とともに
2005年京都大阪愛知万国博覧会へ
2005年8月厳島神社広島平和への願い
2005年11月 紅葉・秋を求めて
2006年3月春の息吹鎌倉散策
2006年7月利尻島・北海道散策
2006年11月四国一周の旅

中国:他 訪問写真集目次

1997年北京:ハルピン訪問 2000年12月中国大連、旅順訪問
2002年1月中国昆明・石林等訪問 2002年8月上海、蘇州、南京、無錫、蘇州訪問
2004年7月東南アジア訪問 2005年4月中国北京訪問大連訪問

私は写真を撮るのが好きです
人物、、自然、特に山や川や花が好きでいつも車にカメラを積んでます。
ビデオ、一眼レフ、デジカメと腕は下手ですがいろんな機会を捉え
鑑賞し、自分の教養を高め、自然が大好きな、いい年寄りになろうと思います。

郷土の海、山、川の写真をどうぞ

私は絵を描くのが好きです
絵を描くのが好きと、上手であると言うのは、別であり私がその見本です。
私はずっと前から、絵を習いたいと思っていました。ひょんなことで、小松原中学校
1年の時担任であり、今は、宮崎県を代表する水彩画家の坂口伊佐夫先生
とお目にかかる機会があり、教えてくれる方を知りませんかとお聞きしたら、
なんと僕が教えるよと気楽に言って下さいました。感謝感謝
2000年夏より先生の水彩画教室にて月に2回教えて頂いてます。
2001年4月より家内も同時に生徒となり生徒同志となり変な関係であります。
上手になろうと言うよりも、その雰囲気を楽しむのがいいです。
だけどそのうち旨くなりたい、と本心は思っております。
作品は、ホームページ初級ギャラリーへどうぞ

私は映画を見るのが好きです
和洋問わずサスペンス、アクション、メロドラマ、商売根性、イロ物等幅広い範囲で大好きです。
中には、主人公に取って代わって演技したいと思う事があります
作品の意味することに感動し、人知れず涙、涙することがあります。いいですね映画は!
自分が、主人公と共に生きて主人公と共に死んでと、
何回も違う人生を歩んだ気がします。いいドラマは最高です。元気が出ます。


私はゴルフが好きです
好きと、上手は別です、私が22年間で証明しました。天性が必要です。
仕事先の付き合い、仕事仲間との付き合い等など昼はゴルフ、夜は飲ん方と
しごたイツすっとな(仕事はいつされますか)と言うほど、ゴルフをしましたが、
バブルに踊り残ったのは疲れと、借金と、遊び心だけでした。払拭するのに大変でした。
馬鹿なことをしていました。日本社会全体的に大きな後遺症を残しています
上手くなれなかったのは残念ですが、最近は、
腰痛、五十肩(実際は60才ですが)と
次々に襲い掛かる病魔と忍び寄る
老化現象が頭痛の種でなかなか行けません。
最近、次男剛士君が一緒にしようと誘ってくれます、うれしい限りです。
親子でゴルフしようよ目次へ


日々雑感
中年をすぎもう老年にはいるのかなと冷や冷やしている、59歳の私です。
いろんな事を経験してきていても心の中は、まだまだ、揺れ動くことが多いです。
もう一度若い頃に帰りたいなんて贅沢どころか不可能ですが、
頭の中でなら青春に帰ったり、若い彼女を又作ったつもりと、
空想できます。日々生活する中で感じたこと、こうありたい、
こげなこたはおかしはねけ(標準語=この様なことは変ですよね)
等々、植村建夫が、評論家になったり、作家になったり、女性になったり
自由な発想で日々感じたことを記していきます。
ごらんになりご感想があれば、是非お聞かせ下さいませ。
時々雑感のページへ


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